高次郎氏が亡くなってからやがて一周忌が来る。

「しののめはあけそめにけり小夜烏《さよがらす》天空高く西に飛びゆく」「大いなるものに打たれて目ざめたる身に梧桐《あをぎり》の枯葉わびしき」  高次郎氏の師匠はさらにこの歌集の巻末に、加藤君はある夜役所の帰りに突然私の所へ来て、雑誌に出た自身の歌を全部清書したいからと云い、端座したまま夜更《よふけ...

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 師匠というものは弟子の心をよく知っているものだが、高次郎氏もまた、水蓮のような人として師の眼に映じていたにちがいない。

「上官のあつきなさけに己が身を粉とくだきて吾はこたへむ」 この歌も高次郎氏を思うと嘘ではなかった。私はこのような心の人物の一人でも亡くなる損失をこのごろつくづくと思うのだが、上官に反抗する技術が個性の尊重という美名を育て始めた近代人には、古代人のこの心はどんなに響くものか、私は今の青年の心中に暗さ...

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私には、高次郎氏の歌はどの一首も思いあたることばかりだったのみならず、すべてそれは氏の亡くなってから私に生き生きと話しかけて来る声だった。

暫くの間、私はこのあたりに無言でせっせっと鍬《くわ》を入れて来た自分の相棒の内生活を窺《のぞ》く興味に溢《あふ》れ、なお高次郎氏の歌集を読んでいった。妻を詠《うた》い子を詠う歌は勿論《もちろん》、四季おりおりの気遣《きづか》いや職務とか人事、または囚人の身の上を偲《しの》ぶ愛情の美しさなど、百三十二...

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